「エリート」のたったひとつの役割

人の価値をどうこう言うのってどうなのかとも思いますが、人生や人の価値っていかに金を稼ぐか、ではないと思います。
その人がいくら稼いだか、ではなく、その人が何をしたかが重要なんじゃないでしょうか。が、資本主義に毒された現代社会人は、いくら稼いだかばっかり注目します。
真に社会正義のために動けば儲からないことも多々有ります。逆に金儲けを主眼にして社会のことなんて考えなければ儲かります。どっちの人間の方が立派なのか。そういうことも考えずに金金言ってないで、しっかりとした価値観を形成する必要があるのではないでしょうか。富、儲ける、資産形成、成功、富豪、富裕層、いずれもお金を持つことが立派なことだという価値観を自然に植え付けます。本当は、他の価値観はどうなのか、他に重要な価値観はないのか、そういったことを考えずに、刷り込みのように、洗脳のように、ただただ金を稼ぐことが立派だと、思い込まされてるんです。そういうことを省みるためにも、金稼ぎより重要なことってあるのではないの、ってことです。それを考え抜いた末に、やっぱり金稼ぎだって結論に達するなら分かりますが、何も考えないで、それを当然の前提のように考えてるのは違うんじゃないでしょうか。
森友の問題で特ダネを出したNHKの記者は左遷されました。それ見て見ぬふりのNHKの社員は高額報酬をえてます。原発に反対するより、電力会社で働けば高額報酬を貰えます。正義を貫けば高額所得をえられません。どっちが立派なんでしょうか。社会はどっちを応援してけば、よりよくなるでしょうか。
私は真のエリートは、自分や家族の生計を成り立たせたら、社会のことを考えて、リソースをさくべきだと思っています。それをしないで、十分金があるのに、さらに金儲けに走る人間は、自分のことしか考えていないように思うのです。

知識や見識をもつ人が、自分の所得を増やすことに躍起になって、社会をよくすることを考えなければ、社会を誰が良くできるのでしょうか。