所得の再配分について

実際に世の儲けてる人は、才能や運や環境に恵まれてたという人が多く、それでも成功をてにする課程である程度の努力はするから、自分が成功したのは努力のお陰だと思い込みがちで、運・才能・環境に目を向けない。しまいには、成功してない人を努力してないからだと言い出し、所得の再分配に反対する人までいるから、私は、違うんじゃないのかな、と思う。

生きるのに大変な思いしてる人はいっぱいいるし、それが金に結び付かない人もいっぱいいる。逆に結び付いた人もいる。例えばもともと困窮世帯に生まれて学費もなく親や兄弟の世話のために時間もなくて、なんとかうまく時間をつかってる人とか、その例。それでもそういう環境にいたらなかなか大学いけたり成功するのは稀で、簡単に大学行ける環境にいる人とは全く違う。別の例で言えば、年収500万になるには努力が必要だが、そのための努力の量は環境・才能・運により全く違う。楽に到達できる環境下にいる人(例えば塾予備校に通えて勉強さえしてればそれなりの大学に行ける環境なら、簡単に500万位の会社に入れる。家庭教師とか雇える家ならなおさら楽。)もいれば、なかなか大変な人もいるし、すごく難しい人もたるいる(前述のように大学行くにも難しい環境下の人がいる。)

世界の富の偏りについて

資本主義が過度に進行した現在、多くの富が一部に偏ってしまってますよね。これを是正することに反対する人達は、競争と資本の蓄積で生産力があがっていくと言いますが、実はこれ、間違ってると思うのです。

今、世界のGDPの総和が80兆ドルだから、一人当すたり1万ドルで日本円にすれば140万円。1世帯3人家族なら400万の年収になるわけです。既に世界には十分な富と生産力があるんです。

食料で言うと米の年間総生産量が7.5億トン。一人当たり年間100kgだから1日300g、お茶碗2杯分のお米が既に世界の生産力で可能なんです。これ、お米だけの話ですから、小麦(年間生産力が7.6億トンなので一人当たり1日にパン6枚分になる)やトウモロコシなどの穀物も含めれば世界には十分な食料があるんです。それを先進国が占有し廃棄や、ステーキ食べるために牛にあげたりするので、世界に食べていけない人が出てるだけなんです。

エネルギーもしかりで、石油換算で133億トンのエネルギーが世界で使用されていますが、一人当たり2トンのエネルギーになります。日本人一人当たりが年間3トンのエネルギーを使っていることから考えても、それに近い水準の生活が可能なエネルギーがすでに世界では生み出せているんです。

富を遍在させ過当競争し生活していけない人を生み出し、していける人もいつ落ちるかと不安にかられながら生きていかなければならない理由なんてもうないんです。十分な生産力が既に世界にはあるんだから、そんなことより富の遍在こそが問題なんです。もちろん、最貧国になってくると分配の問題以前に様々解決しないとならない問題山積みではあるんですが、数字上は既に十分な富があるんです。

日本国内も世界でみても、過当競争を煽っていくより、富の遍在を解消させることをこれからは考えていくべきなのではないでしょうか。

「エリート」のたったひとつの役割

人の価値をどうこう言うのってどうなのかとも思いますが、人生や人の価値っていかに金を稼ぐか、ではないと思います。
その人がいくら稼いだか、ではなく、その人が何をしたかが重要なんじゃないでしょうか。が、資本主義に毒された現代社会人は、いくら稼いだかばっかり注目します。
真に社会正義のために動けば儲からないことも多々有ります。逆に金儲けを主眼にして社会のことなんて考えなければ儲かります。どっちの人間の方が立派なのか。そういうことも考えずに金金言ってないで、しっかりとした価値観を形成する必要があるのではないでしょうか。富、儲ける、資産形成、成功、富豪、富裕層、いずれもお金を持つことが立派なことだという価値観を自然に植え付けます。本当は、他の価値観はどうなのか、他に重要な価値観はないのか、そういったことを考えずに、刷り込みのように、洗脳のように、ただただ金を稼ぐことが立派だと、思い込まされてるんです。そういうことを省みるためにも、金稼ぎより重要なことってあるのではないの、ってことです。それを考え抜いた末に、やっぱり金稼ぎだって結論に達するなら分かりますが、何も考えないで、それを当然の前提のように考えてるのは違うんじゃないでしょうか。
森友の問題で特ダネを出したNHKの記者は左遷されました。それ見て見ぬふりのNHKの社員は高額報酬をえてます。原発に反対するより、電力会社で働けば高額報酬を貰えます。正義を貫けば高額所得をえられません。どっちが立派なんでしょうか。社会はどっちを応援してけば、よりよくなるでしょうか。
私は真のエリートは、自分や家族の生計を成り立たせたら、社会のことを考えて、リソースをさくべきだと思っています。それをしないで、十分金があるのに、さらに金儲けに走る人間は、自分のことしか考えていないように思うのです。

知識や見識をもつ人が、自分の所得を増やすことに躍起になって、社会をよくすることを考えなければ、社会を誰が良くできるのでしょうか。

高所得者は努力しているのか

よく高所得の人は自分は努力しているから、高所得なんだとか、低所得の人は努力してないからだ、とか言いますが、本当にそうでしょうか。

大変な仕事ってみなそうじゃないですかね。その中でも、自分にとってはあまり苦にならないような仕事を選んでるわけで。もちろん医者も弁護士も大変だけど(これは勉強面ですかね)、工事現場も大変だし(肉体労働)、看護師も大変だし(不規則、気が抜けない等)、それぞれに大変だけど、特性とかが自分に向いてるようなのを選んでるわけですよね。
自分だけが、大変、努力してる、低所得の仕事より選ばれた仕事なんだってのは、差別意識だと思うのよね。
みんな、どんな仕事も大変なのではないでしょうか。
学校の先生の表彰状ではないのだから、誰かが努力を評価して価格を決めているのではありません。資本主義経済では所得の多寡は、需要と供給のバランスや、生産手段を所持してるなどの立場などによって生じてるのですから。

政治にお金がかかるならかからないようにするのが筋

最近の、自民党の裏金問題で、政治家がよく口にする言葉に、「政治にはお金がかかる」っていうのがあるけど、これっておかしくないですか?

 

そもそも民主主義って、国民の意見を国会に届けるために選挙があるわけで、お金なんてかけなくても、国民の声を代表してるなら(票が多く集まり)当選するし、そうでないなら落選するだけのこと。別にお金をかけて当選しようとする必要なんてないはずです。それが、お金をかけてまで当選しようとするのは、そこに利権があるから。それ目当てに無理やり当選しようとする、引き続き当選しようとする、親に続いて当選しようとする、そんな無理な当選を目指すからですよね?そもそも、選挙にお金かけたら結果が変わるなら、お金で民意が歪んでるっていうことだし、お金がなければ代表になれないってことだから、政治にお金がかかってるなか、かからないようにするのが筋であって、お金がかかるから献金を認めたりや政党交付金を作ったりするのはおかしいですよね?お金ある人だけ何度も当選するし、当選枠が既得権益みたいになってるし。

所得の再配分について

実際に世の儲けてる人は、才能や運や環境に恵まれてたという人が多く、それでも成功をてにする課程である程度の努力はするから、自分が成功したのは努力のお陰だと思い込みがちで、運・才能・環境に目を向けない。しまいには、成功してない人を努力してないからだと言い出し、所得の再分配に反対する人までいるから、私は、違うんじゃないのかな、と思う。

生きるのに大変な思いしてる人はいっぱいいるし、それが金に結び付かない人もいっぱいいる。逆に結び付いた人もいる。例えばもともと困窮世帯に生まれて学費もなく親や兄弟の世話のために時間もなくて、なんとかうまく時間をつかってる人とか、その例。それでもそういう環境にいたらなかなか大学いけたり成功するのは稀で、簡単に大学行ける環境にいる人とは全く違う。別の例で言えば、年収500万になるには努力が必要だが、そのための努力の量は環境・才能・運により全く違う。楽に到達できる環境下にいる人(例えば塾予備校に通えて勉強さえしてればそれなりの大学に行ける環境なら、簡単に500万位の会社に入れる。家庭教師とか雇える家ならなおさら楽。)もいれば、なかなか大変な人もいるし、すごく難しい人もたるいる(前述のように大学行くにも難しい環境下の人がいる。)

所得の再配分について2

資本主義が過度に進行した現在、多くの富が一部に偏ってしまってますよね。これを是正することに反対する人達は、競争と資本の蓄積で生産力があがっていくと言いますが、実はこれ、間違ってると思うのです。

今、世界のGDPの総和が80兆ドルだから、一人当すたり1万ドルで日本円にすれば140万円。1世帯3人家族なら400万の年収になるわけです。既に世界には十分な富と生産力があるんです。

食料で言うと米の年間総生産量が7.5億トン。一人当たり年間100kgだから1日300g、お茶碗2杯分のお米が既に世界の生産力で可能なんです。これ、お米だけの話ですから、小麦(年間生産力が7.6億トンなので一人当たり1日にパン6枚分になる)やトウモロコシなどの穀物も含めれば世界には十分な食料があるんです。それを先進国が占有し廃棄や、ステーキ食べるために牛にあげたりするので、世界に食べていけない人が出てるだけなんです。

エネルギーもしかりで、石油換算で133億トンのエネルギーが世界で使用されていますが、一人当たり2トンのエネルギーになります。日本人一人当たりが年間3トンのエネルギーを使っていることから考えても、それに近い水準の生活が可能なエネルギーがすでに世界では生み出せているんです。

富を遍在させ過当競争し生活していけない人を生み出し、していける人もいつ落ちるかと不安にかられながら生きていかなければならない理由なんてもうないんです。十分な生産力が既に世界にはあるんだから、そんなことより富の遍在こそが問題なんです。もちろん、最貧国になってくると分配の問題以前に様々解決しないとならない問題山積みではあるんですが、数字上は既に十分な富があるんです。

日本国内も世界でみても、過当競争を煽っていくより、富の遍在を解消させることをこれからは考えていくべきなのではないでしょうか。